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2021年5月法話『選択(せんたく)と選択(せんちゃく)』
選択(せんたく)と選択(せんちゃく)
選択とはえらぶことだが、単一だったら選びようがないから、数は二つ以上なければならない。また、選ぶにあたっては、基準を設定してそれに合うものを選ぶ方法と何らかの意向に基づいて選択(せんたく)する方法とがある。選ぶ当人の意図がなければ、選ぶとはいえない。
設定基準を設けて選ぶ方法はテストなどに多く見かける。
たとえば、
「ここに羅列せれた数字の中から「5」の数字のみ〇印をつけよ」
というテストは、運転免許証更新の際、高齢者研修に使われる定番問題である。
あるいはまた、自分の意向に則っての選択は、自分の思い通りに選べるのだから、むずかしいことではないはずなのだが、世間のあり様からみたらそう甘くはない、選択を誤って一生の不覚を取ることだってある。したがって、選択は慎重を期すべきだ。だが、先行きの予想がつかないで迷っていても傍(はた)から「あれかこれか」と選択を迫られる場合もある。そうであっても、選択ができるうちはよいのである。
選択すらできなかったら大変困る。
「お前には選択の余地はないのだぞ」
と言われたら、自分の意志は皆無になる。
だとしたならば、人生真暗闇ではないか。そう考えたら、「選択」は希望の星であり、ありがたいことなのである。
ところで、仏教の世界でも「選択」ということを考えた人がいる。浄土宗を開かれた法然上人である。『選択(せんちゃく)本願念仏集』を撰述したが、そこに「選択」ということばが使われている。
この場合の読み方は、(せんたく)ではなく、(せんちゃく)と読む。(浄土真宗では(せんじゃく)と読む)
では、法然上人は何をどのように選択したのだろうか。
上人はこう述べている
「速やかに生死を離れんと欲(おも)はば・・・聖道門を閣(さしお)きて選んで浄土門に入れ」
と。つまり、迷いの世界であるこの世をすみやかに離れる方法は、学問と修行をしなければならない聖道門に入門するのを止めて、阿弥陀仏を信じることだけで救済されると説く浄土門に入るべきだと述べている。
つまり、法然上人は、八万四千もあるという仏の教えの中から、すべての人々が平等に救われる教えを選択(せんちゃく)したのだ。
すべてが対象ならば、難行より易行、難しいよりやさしい方がいい。
そのような観点から選んでいって辿り着いたのが阿弥陀如来の四十八願の中の「第十八願」である。
この願は、阿弥陀如来を信じ、その名号を称えさえすれば浄土に往生できる。それだけで仏さまは救ってくださるというのだ。
法然上人が選択した浄土教は中国の学僧である善導の教えにヒントを得た。そして、「行」より「信」を選んだのである
(阿 純孝)