2020年8月法話『利益(りえき)と利益(りやく)』

2020年07月28日

画.阿 貴志子

利益(りえき)と利益(りやく)

 

 利益(りえき)がなければ社会生活は成り立たない。

 コロナウイルス感染を防止するために三密(密集・密閉・密接)にならないよう自粛せよと、国や知事が市民に対して要請した。日本人は素直だから、その通りにしたら、自粛しすぎて社会経済の方が病んでしまった。痛し痒しである。そこで、国や知事は〝何とかせねば〟と考えが変わった。

 お互いに経済的利益を共有してこそ社会は成り立つからだ。その意味で利益(りえき)を求めることは必要なのである。

 人はひとりでは生きられず、お互いが自分の得手を発揮して利益を共有しようとするのは決して悪いことではない。得手勝手ならないよう得手が勝手にならないよう慎しめばよいのである。

 足を洗うに手を使う

 という川柳がある。

 足が汚れたからといって足で足を洗うより手で洗うほうが得手ではないか。また足は足の特性を生かせばいい。お互いさまで成り立つのがこの世の常。

 情は人のためならず

 ということわざがある。

 人に情をかけることは、いずれいつの日かめぐりめぐって自分に返ってくるという意味だが、つまり、利益(りえき)とはお互いさまの潤滑油なのだから、社会生活を営む上において利益はなくてはならない。

 ところで、この利益を(りやく)と読むと神さま仏さまにお出ましいただかなくてはならない。

 神さま仏さまからの私たちへのプレゼントが「ご利益(ごりやく)」なのだ。

 そのご利益は私たち人間にははかり知ることができない。だが、神仏は私たちを迷いから目覚めさせるために働いてくださっている。

 私たちの力ではないから、「お陰様」なのだ。であるから、神仏のご加護は信じることによって成り立つ。

 利益(りえき)と利益(りやく)はこのようにちがう。

 利益(りえき)は人と人との関係であり、利益(りやく)は神仏と人との関係なのだ。    (阿 純孝)



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