2020年6月法話『三密』

2020年05月18日

画.阿 貴志子

三密

新型コロナウィルスが全世界に蔓延して困ったことになっている。治療薬は定かでなく、ましてや予防ワクチンは研究開始したばかりとあってはどうしようもなく、ただただ感染しないようにお互いが気をつけるしかない。

そんな状況の中で出て来た新語がある。

 オーバーシュート、クラスター、ソーシャルディスタンス、ステイホーム、ロックダウン、オンラインシステム、テレワーク、コロナストレス、パンデミック…。

 わずか数か月間の間にずらり初めて聞くことばばかり。気がつけば、何と横文字の横並び。意味を理解するのに容易ではない。なぜ分かりやすい日本語で表現できないのだろうか。日本語の語彙が乏しいからなのか。そんなことはない。日本語を使う日本人が母国語を使い熟せていないからだと思う。国際社会の中で母国を失いかけているとしか思えない。コロナ感染に怯えるよりこの方が問題だ。

 そんなこと考えていたら、やっと出た。

 「三密」。三月末頃、小池都知事のことば、「新型コロナウィルス感染予防対策には三密にならないようにお願いいたします。三密とは密集、密閉、密接であります…」

 これなら分かる。人と人とがあまり接近しないことだ。つまり濃厚接触しないこと。

 新型コロナだから新語なのか。

 ところで、三密は新語ではない。意味はまったくちがうけれど、すでに弘法大師空海は三密ということばを使っていた。ただし、同音異義。

 私たちが生きている姿をまとめてみると、身体で動き、口で語り、心(意)で思考すること三つに集約できる。これを身口意の三業という。ところで、仏さまにも身口意の三業の働きがある。その働きは完成されているので、私たちのような煩悩多き目にはうつらない。不可思議なのだ。つまり、仏さまの身口意は秘密にしか思えないので、「三密」といっている。仏さまの慈悲深い三密の加持によって私たちの三業はそのまま清浄になり三密と一体化するという教えを三密加持という。

 今、そのままといったが、それは本来の姿という意味である。それには、私たちの三業に仏さまの姿を写せばいい。手や指で印を結び仏さまの姿をまねる身密。口で仏さまのことばである真言を唱える口密。心に仏さまの姿を描き瞑想する意密。そうすれば、この身そのままで仏になれる。即身成仏なのだ。

 わが身そのまま本来仏なのに、そうとは知らず余計なことをしてしまう。昨日も今日も明日も、あっちへうろうろ、こっちへベタベタ。これじゃ即身成仏はほど遠い。

 でも、遠い方が楽しいから困ってしまう。 (阿 純孝)



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