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2019年7月法話 『一大事とは』
2019年06月19日

画.阿 貴志子
一大事とは
「親分、大変だ大変だ。一大事が起きた」
といって八五郎がかけ込んで来た。
「うるせぇ、静かにしねえか」
と、銭形平次。親分の貫録で、あわてず、さわがず、ゆったりと
「ところで、一大事とは何んだ、話してみな」
銭形平次捕物控のはじまりだ。結末は言うまでもなく、手裏剣ならぬ投げ銭で犯人はご用となってめでたしめでたしで終わる。
さて、この〝一大事〟だが、辞典によると、
重大な出来事、容易ならぬ出来事
大事件
とある
ところで、仏教にも一大事はある。「一大事因縁」ということばがあるくらいだから、もとを調べれば語源は仏典かもしれない。
仏教でいう「一大事」とは、仏さまがこの世に出現されたことなのだ。お釈迦さまがそうだ。一般には、インド生まれのお釈迦さまが悟りを開かれて仏になられたと見ているが、法華経の見方はちがう。迷いの世界の衆生を済度する目的で、釈尊は仏の世界からこの世に出現なされたと見るのである。
したがって、衆生済度のために仏さまがこの世に出現された、このことが一大事なのである。
仏さまは私たち衆生に「わが子よ」と呼びかけてくださっている。つまり、この世の生きとし生けるものはすべて差別なく仏の子なのだ。信じられないだろうが、あなたも彼も仏の子です。
私もあなたもすべてが仏の子であると信じることができたら、仏さまが仕立てた船に乗れる。それを仏乗という。
行く先は悟りの岸、仏の船なのだから、安全、安心、快適。遠く長い船旅だが、乗ってみたいと思いませんか。
これが仏教の一大事だ。八五郎の一大事とはまるでちがう。