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2019年3月法話 『退屈』
2019年02月22日
退屈
電話は急ぎの用事がある時にかけるものだが、暇をもてあまして電話する人もいるらしい。退屈をまぎらわすための電話だ。要するに何もすることが見出せないときに退屈をあじわう。
では、この退屈の意味を文字から見てみよう。
退とは、しりぞくこと、後にさがること、立ちのくこと、おとろえること、そんな意味である。退学、退任、退色、退院などよく使われている。
では次に、屈とはどのような意味なのか。
屈の字解は、尾の短いこと、あるいは、うしろに出る事、という意味だから、ひっこむ、かがむとなり、そこから派生して、くじけるという意味になったという。したがって、退と屈とが合わさると、しりぞきくじけるという意味になる。『広辞苑』によると、気力がおとろえること、へこたれること、つまらなさやひまのためにあきあきすることと説明している。
ところで、退屈とは仏教から出たことばなのだ。
源信の『往生要集』にたびたび出てくる。
「菩提の大利を得んには応に退屈を生ずべからず」とか、
「十方世界のもろもろの有情、念々に安樂国に往生す。・・・我もまたしかり。自ら軽んじて退屈を生ずべからず」という使われ方をしている。つまり、修行をおろそかにしたり、修行のつらさにくじけることを“退屈”といっている。
修行には困難がともなう。楽な修行なんてありはしない。だからこそ真剣に取り組まねばならないのだが、努力を怠る。つまり、退屈するのだ。すると、やることがなくなり、ひまになるから、これまた退屈する。退屈するとくたびれる。なら、修行したほうが自分のためになる。