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2019年1月法話 『門松は 冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』
2018年12月26日
門松は 冥途の旅の一里塚
あでたくもあり めでたくもなし
お正月ぐらい「明けましておめでとうございます」とすなおに挨拶したら、と思うのだが、そこは一休和尚、ひとひねりする。
門松は 冥途の旅の一里塚
めでたくもあり めでたくもなし
この句は一休和尚の作ではないという人もいるが、一休和尚の句としておいたほうがおもしろ味が出る。
戦前はお正月が来ると日本人全員が加齢した。つまり数え年だった。その意味からも、お正月は特別な日だったのだ。
お正月が来ると、ひとつ歳が増えるから、おめでたいことなのだ、が…? 老いそして死へと一歩一歩近づくことでもあるから、一方を見て、めでたいとばかり喜んではいられないでしょうと一休和尚は皮肉るのである。
「裏をみせ表をみせて散るもみじ」ではないが、ものごとには、プラスマイナスの両面があるから、表ばかり見てはだめだということだろう。
また、人生は旅にたとえられる。人生は旅なのだ。そこで、「冥途の旅の一里塚」と一休和尚は言うのである。
昔、人が旅をする街道には一里ごとに塚をつくり、そこに榎や松を植えて目印にした。
年取りの門松と旅の目印の塚の松とを関連させて注意を促した。
たしかに、人生は冥途への旅にちがいはないが、その道中、冥途を忘れるほどすばらしい経験をしたり、生きがいを感じたりすることはあるだろう。それがない人生はつまらない。冥途の旅を生きがいある旅に転じる努力こそが大切だと思う。
冥途の旅はひとり旅であるよりも、「旅は道ずれ世は情け」のほうがいい。「袖ふれ合うも他生の縁」ということもある。