2018年1月法話 『雨奇晴好』

2017年12月24日

画.阿 貴志子

雨奇晴好

 

 京都四条の南座から入坂神社に向って五十メートルほど行くと、仲源寺というお寺がある。その寺の山号額はめずらしく、山号は記るさず「雨奇晴好」と書いてある。

 (おもしろいではないか)。そう思ったので調べてみた。

 「雨奇晴好」は中國北栄時代の蘇軾(号は蘇東坡)の詩、「飲湖上初晴後雨」に由来する。

 

     飲湖上初晴後雨

  水光激灔として

  晴れて方に好し

  山色空濛として

  雨の奇なり

 

  かいつまんでいえば、蘇東坡が大好きな西湖に船を浮かべて酒を飲んでいると、湖上は水が輝き、晴天は素晴らしいと思うのもつかの間、やがて雲行きがあやしくなり雨が降り出した。その雨に煙る湖を眺めていると、これもまた思いがけず風情があるというほどの意味だが、「雨も奇なり」と詠むところに、この詩人の蘊蓄を感じる。

 常識的には、晴は好ましく雨は嫌悪に思うものだが、そこは蘇東坡。晴には晴れのよさ、雨には雨のよさ。どちらもすばらしいと言う。どちらも捨てるところはないのだ。

 この精神を詩にした人がいる。武者小路実篤だ。

 

  みんないい

  春もいいが夏もいい

  秋もいいが冬もいい

  みんないい

 

 ところで、日本の年間降雨日は、一位が秋田県で一七七日。最も少ない県は山梨県で八二日。日本の年間降雨日は一二〇日。

 これを踏まえて考えて見よう。

 雨の日は嫌だといって退けていたら、一年の三分の一は無意味な過ごし方になるのではないか。

 蘇東坡のように、雨だったら、その雨の中によさを見出していくならば、一年の三分の一は生かされるではないか。

 今年一年、「雨奇晴好」を心がけていきましょう。



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