2016年10月法話『見方を変えたら・・・』

2016年09月23日
画・阿 貴志子

画・阿 貴志子

見方を変えたら・・・

 

 何か窮屈な思いをしたことありませんか。

(これが正しいのだ)と思い込んで、他を認めたくないと思ったことありませんか。

 私たちは、思い込みや思い違いをすることがよくあります。

 見方を変えてみたら、(なんだ、そんなことだったのか)と思うことがあります。

 思い込みの例として、たとえば、「バラの花にはトゲがある」という言葉があります。美しい女性なのに性格が悪かったり意地悪だったり、厳しすぎたりしたときに使います。見た目と違うので、寄り付きがたいのです。

 バラの花があまりにも美しいので、それに魅せられて、素晴らしいと思っていると、やがて、花を支える茎にトゲが隠されていて、傷つけられ、(なんだこの花は)となるのです。それは、花ばかりを見ているからなのです。

 そんな時,トゲのある茎の方から見たら、どういうことになるでしょうか。『次郎物語』を著した下村湖人は『人生随筆』の中で、こう述べています。

「『バラの花は美しい。だが、その陰に恐ろしいトゲがある』とあなたは言う。

けれども、私は言いたい。『なるほどバラにはトゲがある。それでも、こんなに美しい花を咲かせる』というように」

    美しいバラにもトゲがある。

    トゲのあるバラにも美しい花が咲く。

 

 この二つの見方。あなただったら、どちらを選びますか。

 角度を変えてみると、見る世界も変わります。新しい発見があって楽しくなります。

 これは人間観察にも役立ちます。(あんな奴にもいいところがあったんだ)なんて思ったりしてね。

 このように自由なものの見方をするには、先入観や固定観念に執着しないことです。

 それは、仏教が説く「空」なる見方です。



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