2022年9月法話『無所得でありたい』

2022年08月21日

画.阿 貴志子

  無所得でありたい

 アメリカの経済紙『フォーブス』が発表した2022年版の世界長者番付の第一位になったのはイーロン・マスク氏だった。

 イーロン・マスク氏は電気自動車(EV)メーカーのテスラなどの創業者である。

 前年まで4年連続第一位のネット通販アマゾンの創業者ジェフ・ベゾン氏を追い抜いたとテレビは報じていたが、あまりにもはるかに天上の話題なので、どんな生活ぶりなのか想像すらできない。想像ができなければ興味が持てない。つまり、私にとってはどうでもいいことなのだ。世界の億万長者を云々するより、私には無所得の方に興味がある。

 ある日、ある人に

「俺は無所得でありたいよ」

 と言ったら、

「何を言うかと思ったら、無所得に憧れているのか、バカな奴だな。低所得者のお前が言うセリフか」

 と、バカにされた上に

「この間、ディナーを御馳走したのだから、今夜はお前がおごる番だ」

 というではないか。ディナーと言ったとて、居酒屋でヤキトリに酒程度なのだから、低所得者の私でも自信をもっておごり返すことはできる。

 話がお金のあるなしになってしまったが、私が「無所得」に興味があるのは収入の多い少ないの所得のことではない。

 私が思っている「無所得」とは、精神的自由を得ることなのだ。

『仏教語大辞典』によると

「無所得とは、何ものにもとらわれぬ自由な境地、心の中の執着、分別をしないこと。ものにこだわることのないこと」

 と説明している。

「何ものにもとらわれぬ自由」を得るには、どうしたらよいのだろうか。

 そこで、思いついたのは宮澤賢治の『雨ニモマケズ』の詩である。

 

  アラユルコトヲ

  ジブンヲカンジョウニ入レズニ

  ヨクミキキシワカリ

  ソシテワスレズ

 

 と宮澤賢治は言う。

「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」(自分を勘定に入れずに)とは、自己中心的な考えをしないことだから、それができたら、ありのままに見ることができるだろう。

「ヨクミキキシワカリ」(よき見聞きし解かり)である。

 自分を勘定に入れずに見ることができるようになれば、

〝無所得〟の境地に近づけのではないだろうか。

                    (阿 純孝)



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