2022年4月法話『微妙(びみょう)と微妙(みみょう)』

2022年03月23日

画.阿 貴志子

微妙(びみょう)と微妙(みみょう)

 スポーツの試合には、正否を判定する審判員が必ずいる。相撲しかり、テニスしかり、野球、サッカーなどなど⋯だ。

 プレーする選手の方も審判員を信頼してゲームをする。それほど審判員は重要な役割を荷っている。だから、試合はおもしろいのである。だが、そうは言っても、正か否か判断に苦しむ微妙(びみょう)な事態が起こることがある。それでも審判員は正否を決定しなければならないのだから、つらい仕事だ。ところが、現代では、判定しかねる微妙(びみょう)な場合、ビデオ判定に委ねることができる。人間の目より機械の目の方がすぐれているからだ。

 これは微妙(びみょう)という言葉のひとつの意味だが、微妙(びみょう)を(みみょう)と読むこともできる。で、微妙を(みみょう)と発音すると、たちまち仏教の世界に入ってしまう。

微妙(みみょう)とは、人間の力では思議することができない仏の智慧が働く世界のことを意味している。

 たとえば、「月がある」と月を指しても差し示す指が月ではないのと同義だろう。

 そのように言葉の限界を超えたところに真理の世界があることを表現しようとすると、「微妙」(みみょう)と言わざるを得ない。     (阿 純孝)



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