2019年4月法話 『一味とは』

2019年03月23日

画.阿 貴志子

一味にとは

 

「七味」といえば香辛料の一種で、ソバ店のテーブルに置かれているのをよく見かける。

 七味で名の知れた店は、東京ではやげん掘。京都では原了郭。忘れてならないのは善光寺の八幡屋だ。最近の人気商品は黒七味。これらの七味は香りが決め手だが、辛味重視の「一味」も人気がある。この一味だが、困ったことに悪事を企てる仲間という意味にも使われている。

ところが、この一味ということばは本来仏教用語だったのだ。しかも仏さまの悟りの世界が一味だというのだから、もったいなくもありがたいことばなのである。だとしたならば、暗黒街の仲間たちと一緒にしては申し訳ない。

正確を期するため仏教語大辞典では、

「一味とは、事(諸現象)または理(本質)の平等であることを海水のすべてが同一の塩水であることに喩え無差別であること。仏の教えの究極が一つであること」

 とある。つまり仏の教えは真理であるから一つであり、無差別平等であるという意味なのだ。ところが、教えを受ける側の私たち衆生ときたら、千差万別、年のちがい、体力知力のちがい、好みのちがいなど、数えあげたら切りがない。そんな勝手気ままな私たちを導くのだから、仏さまは大変なのだ。でも、仏さまは私たちを見捨てはしない。それぞれの身になって導いてくださる。これを「応病与薬」という。病気の疾状に合わせて薬を調合するようにその人の状態に合った導き方をするから、一見、差別や不平等に見えるかも知れないが、導く先は仏の世界ひとつ。つまり、一味なのだ。

 これが一味の正統な意味であるから、悪の一味に荷担してはならない。一味の正道を歩もうではないか。



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