2017年4月法話『和顔愛語』

2017年03月23日

 

画. 阿 貴志子

和顔愛語

 『無量寿経』に「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉があります。

 和顔とは、平和な顔、なごやかな慈しみをたたえた表情のことです。

 愛語とは、愛情のこもったことばかけのことです。

 この和顔愛語は仏道修行のひとつに数えられている「布施」の精神なのです。布施といいますと、財を施すことをイメージしますが、それだけでなく、「無財の七施」といって、相手を思いやる心がけも立派な布施なのです。

 この和顔愛語の布施は、気落ちして落胆している人には気力を、悲しみに沈んでいる人には生きる力を、挫折した人には勇気を与えます。例えるならば、病気を治癒させるための妙薬といえましょう。そんなに優れた心の特効薬なのに処方を間違えたり、忘れたりすることが、数かぎりなくあります。

 その例として、こんな詩があります。

 吉岡たすく著『幼児教育』に載っていた小学生の詩です。

 

  ぼく、学校の帰り道でむらさき色の花を見つけた

  あっ、もうスミレの花が

  咲いている

  ぼく、スミレの花をとって

  走って帰った

  戸を開けるなり

  「かあちゃん、見てごらんよ」

  といって、スミレの花を 

  差し出した

  そしたら、かあちゃんが 

  「スミレぐらいで大きな声を出すな」

  と、顔をしかめた

  ぼく、その顔を見て

  何にもする気がのうなった

 

 春の訪れに美しく咲くスミレの花を見つけて、即座に母親に見せようと喜び勇んで走って来たのに、何たる母親かと思います。でも、人のことは言えません。(もしかしたら私かも)と思ってしまします。よくあることではありますが、だからこそ「和顔愛語」が大切だと思います。相手に対するちょっとした心遣いがあればできることなのに、ついうっかりわすれてしまうのです。やはり、「和顔愛語」は布施修行なのでしょうか。伝教大師が「忘己利他」を説かれたことが思い出されます。

 



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