2017年3月法話『らしく生きる』

2017年02月26日
画.阿 貴志子

画.阿 貴志子

らしく生きる

 稀勢の里関がようやく横綱になりました。期待度が高かったのでしょうか、日本国中喜びに包まれました。その喜びは、この十九年間の長きに亘り日本人横綱不在だったことにもよりますが、それだけではありません。もう一つ重大なことがあります。

 それは「横綱らしい横綱の誕生」を願っていたからなのでしょう。

 相撲は勝負なのですから、勝つことが大切ですが、ただ勝てばいいだけでは横綱とは言えません。横綱は横綱らしい風格を備えてこそ横綱なのです。そのような思いを受けて、稀勢の里関が横綱になったのですから、大変喜ばしいことです。

 このことから、私は「らしく生きる」ことの大切さを学びました。

仏教では「一切衆生悉有仏性」といって、生きとし生ける者すべてが差別なく仏性(仏になれる性質)を持っていると説いています。

つまり、だれでもが仏になれるのです。だとしたならば、私たちは、日常生活の中で、仏性を生かし育てる工夫をする必要があります。でなければ、宝の持ち腐れになりますし、「仏作って魂入れず」の謗りを免れません。

では、どうしたらいいのでしょうか。

そこで、私は「らしくする」。

つまり、「仏さまらしくしてみる」ことだと思います。

 

いつ・どこでも仏さまらしく

 

何か標語みたいになりましたが、標語は心に残ります。

そして、実行してこその標語です。とは言え、実行不可能と思いがちです。

何しろ相手が仏さまなのですから、急にオリンピックの選手になれと言われているようなものです。しかし、あきらめることはありません。

まぁ、凡夫がまねる仏なのですから、崇高な姿になれるはずはありません。

気軽にやりましょう。

 

落語に出てくるお人好しの「仏の○○さん」でいいではないですか。ならば、いずまいを正す必要はありません。街を歩いて、居酒屋に入ってもかまいません。居酒屋で仏さまらしくお酒を吞めばいいのです。



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